今回は大学在学中に起こったパニック障害の体験談を紹介したいと思います。
大学在学中に発症
私立の大学在学中パニック障害を発症しました。
夜ベットに横になりウトウトしていたのですが突然心臓がバクバクしだしてすごくビックリしました。
そのとき頭に浮かんだのは「心臓発作」に違いない。というものでした。
それまでいたって健康で友達と語ったり飲みにいったりして急に心臓が狂ったように暴れ出す原因がなかったからでした。後々お医者さんから「そのときのショックが強すぎて新たな不安やパニックを起こす原因」とのことでした。
さっきまであんなにリラックスしてベットに入ったのですが心臓はバクバク、呼吸は苦しい、そしてパニック障害特有のいやーな内臓をえぐられるような気持ちになり、とりあえず玄関の鍵を開け救急車を呼ぼうかどうか迷っているとだんだんバクバクはおさまり呼吸も安定してケロッと、本当に今まで何にもなかったかのように「普通」になったんです。
時間にして15分くらいだったのですが落ち着きを取り戻しとりあえず寝ようとベットに入って目をつぶるのですがまたあのドキドキがきたらどうしよう、心臓のあたりが無性に気になってしかたがない、原因もわからないかったので不安が不安を呼びついに2回目の発作になってしまいました。
心臓が弱っているかもしれないという勘違い
あたまのはパニくっていてじっとしていられないので部屋の中をヨロヨロと歩きながらもう死ぬんだなと思いました。
しかしまた15分くらいすると何にもなかったかのように元に戻るんです。
そのとき心臓が悪くなってもう死が近いんだと思い込んでしまい、その日から常に自分の脈拍が気になり左胸がモヤモヤし、食べ物は喉を通らなくなって、1番変わったのは「待つ)ことができなくなったことでした。
踏切で1.2分のことなのですが待つとまた発作が起きるようなきがして遠回りして迂回したり、電車にも乗れなくなってしまいました。
あの発作以降こんな惨めな自分を見せたくない友達付き合いもへり家にこもりきりになりました。
またバクバクがきたらどうしよう、今度こそダメなんだと思い込み食事もとらなかったので一週間で体重が10キロおちました。
それからくる貧血やめまいなど死への不安材料となり毎日泣きながら両親に電話していました。
しかし大学の出席日数の関係で嫌でも学校に行かなくてはならなかったので大学の保険医に相談したところ、大きな病院の精神科に一緒に付き添ってもらいいきました。
パニック障害への認知
発作から二週間くらいだったと思いますが食べれない、眠れない、落ち着かなく常に死の不安で特有のいやーな気持ちで明るい性格だったのですが誰とも話さなくなっていました。
精神科の先生の診断はパニック障害でした。
当時この病気はあまり知られてなくパニック障害と診断する医者もあまりいなかったというのがあとから分かり、パニック障害と診断してくれた先生に感謝しています。
先生曰く、最初の発作の心な傷が深いためなかなか忘れることはできないのでそのためにクスリを飲んで様子をみましょうとのことで、安定剤を飲むのにすごく抵抗があり、あぁ自分は精神異常者になってしまったんだとすごく悲しい気持ちになりました。
安定剤と導眠剤を処方されて帰りました。
そのときは誰の言葉も信じなくもう死ぬんだと落ち込む毎日で悲しくて不安でたまらなかったです。
しかし、不眠はその日のうちに効果が出ました。クスリを飲んで眠れるのかなと考える間もなく気づいたら昼過ぎまでグッスリ寝ていました。
睡眠をとることでお腹が空くので食事も取れるようになり体力の回復ができ本を読んだりしたことや先生の話がスッと抵抗なく入っていきました。
少しずつでしたが行動範囲も広がり電車に乗れたときはすごい嬉しかったです。
まだ完全完治とは言えなく、お守り代わりにレキソタンを持ち歩いて「きそうかな?」というときに飲んでいる現状ですがクスリに対しての気持ちはかなり変わり、自分でコントロールしなが上手く使っていこう、ケガしたときは絆創膏貼るようにパニックにも適切な処置をするだけのことと思うようになりました。学んだこともとても多かったです。
まずは家族でさえも親友でさえもこの不安でいやか気持ちは理解してもらえないんだ、なった人でしかわからない不安な気持ちだから分かってもらおうと思わないこと。
導き出した改善方法
自分の生活を大事に送るためのチカラの抜き方などなど。
この病気をしたことによって得るものがたくさんありました。
けれどできればあのいやな気持ちの感覚は二度と味わいたくないです。
今現在は自分流のリラックスの仕方を探しながら上手く対処していってると思います。
呼吸の仕方の勉強もして前向きに生きていっています。