パニック発作を自覚したのは15歳。
高校の入学式の時でした。
朝は特に体の不調は感じませんでした。
異常を感じたのは入学式がもう少しで終わるという頃。
きっかけはわかりません。突然、制服の首元がやたら苦しく感じました。
なんとなく首元が苦しい気がして、襟元を指でしきりに引っ張っていた記憶があります。
「制服が小さかったかな?私が春休みで太ったからとか?でも、朝は大丈夫だったのに何故いきなり?」小さな違和感が不安に変わって、心の中がそのことでいっぱいになったころ、ものすごく息が上がっている自分に気付きました。息を吸っているのか、吐いているのか、わからなくなってきました。
頭がくらくらしました。
喉がからからになり、吐き気も湧き上がってきました。
「どうしよう、入学式で吐くのはまずい…」壇上では誰かが話している途中です。
大きな声で遠くにいる先生を呼ぶことはできませんでした。
「なんとかしないと、早く外に出ないと、このままだと吐く」鬼気迫る心境でした。隣に座っている初対面の男子生徒が、不思議そうな顔でこちらを見ていることに気付きました。
「ごめん…先生呼んで…調子がわるい…」必死に訴えたあとのことは、よく覚えていません。気付いたら、体育館の外で椅子に座っていました。
隣には先生と母。
その時は、「新しい環境と慣れない人に囲まれて緊張したからかな?」「貧血かな?」と思い、深く考えることはしませんでしたが、この不調はその後も現れます。
特に授業が大変でした。息苦しさと吐き気、それに伴うような眩暈で毎回途中退出。毎回なので、私が手を挙げただけで先生が「(保健室に)いってらっしゃい」と言ってくださるほどです。
内科・脳神経科・耳鼻咽喉科・循環器科、様々な病院であらゆる検査をしましたが異常はなし。医師は口をそろえて「精神的なものでしょう」と言いました。「パニック障害」。
今ほどメジャーな病名ではなかったように思います。
その時処方された薬は私には眠気が強くでただけで、息苦しさや吐き気が収まるような効果は全く感じられませんでした。
薬を飲むほうがつらく感じ、その心療内科に行くことをやめました。
高校入学から一年が経とうとしていました。その後、スクールカウンセラーの先生の紹介で、遠い街の若い先生のお世話になりました。精神科の先生です。一年ほど、週に2回、片道2時間かけて病院に通いました。
「薬は本当に必要なときに処方することにしましょう」先生はそういう方針で、たくさん私の訴えを聞いてくださったり、絵を描いたり、不思議な質問に答えたりしました。
その先生とのコミュニケーションの中で、私はこの症状の「攻略法」のようなものを自分なりに見つけ、対処できるようになっていきました。バッグの中にはいつでも吐けるようにビニール袋を常備。息が苦しくなったら、遠慮せず堂々と途中退出。
だって、調子がわるいんです。あれから17年。今も正直、苦手な場面になると息が苦しく感じます。それでも割と大丈夫。
だって、この17年、息が苦しくても吐き気がしても、公衆の面前で倒れることも吐くこともありませんでした。
閉鎖的な空間は苦手ですお仕事は座ることの少ない、介護の仕事を選びました。
大忙しですが、ずっと動いていられるので、体調がわるくなる場面がほとんどありません。閉鎖的な空間は苦手です。
でも、映画もライブも見たいから、どんどん足を運びました。ちょっと辛いけど、上回るくらい楽しかった。今は、10回に9回は平気です。
大丈夫ではない1回も、そっと目を閉じて深呼吸して、舞台に集中すれば苦しいのも忘れます。そうして、趣味のためにどんどん外に出たことも自信になっている気がします。大丈夫じゃなくても、なんとかなる。なんとかできる、と今は思います。
その自信が、17年耐えた成果です。