中川家の兄である剛さんが世界仰天ニュースに出演し、人前が怖い地獄の苦しみを味わうパニック障害だったことを知っていますか?今回は中川家兄である剛さんの生い立ちや経歴について書いていきたいと思います。
番組の中で語られたパニック障害の苦悩を支えていた弟の礼二の努力が本当に素晴らしいと感動してしまいました。
現在パニック障害で悩んでいるあなたや、周りにパニック障害で苦しんでいる大切な人がいる方は、他人事とは思えないと感じる事でしょう。
パニック障害を克服するには、患者の意思と、周りの人達の環境が大きく関係してきます。
突然起こってしまう発作の恐怖に日々襲われるようになってしまった剛さんは、パニック障害の事を全く理解できない弟礼二さんと、どうやって二人三脚で克服する事が出来たのでしょうか?
兄の剛さんがパニック障害になるまでの生い立ちや経歴
これも時代警察の餌食に🤣🤣
中川家の寄席2022「時代警察/大阪パトロール 喫茶店のビジネスマン」 https://t.co/GEDAfUwaTn pic.twitter.com/aTJUjw9SSt
— 中川家マネージャー【公式】 (@nakagawake419) September 24, 2022
お笑い芸人である中川家ってどんなお笑いコンビなんでしょう?
彼らの歴史を紐解いてみたいと思います。
通常は「中川家 剛」、「中川家 礼二」とコンビ名・名前の組み合わせで表記される。両者とも芸名と本名は同じ。本名:中川 剛はボケ、ネタ作り担当。立ち位置は向かって左。通称「お兄ちゃん」。 本名:中川 礼二ツッコミ、ネタ作り(コントやアドリブ系)担当。立ち位置は向かって右。通称「礼二」。
若手漫才師日本一決定戦「M-1グランプリ」初代王者で、大看板への道をひた走る兄弟漫才コンビ「中川家」。
ネタ作りも担当しコンビの頭脳と言えるのが、お兄さんの剛さんです。
メディアに、舞台に、多忙な日々を送りつつも、毎年恒例の単独イベント「中川家の特大寄席」(東京・ルミネtheよしもと8月24日、大阪・なんばグランド花月8月31日)も開催。
第30回上方漫才大賞新人賞(1995)
第17回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞(1996)
第30回上方お笑い大賞最優秀技能賞(2001)
第1回オートバックスM-1グランプリ優勝(2001)
第40回ゴールデン・アロー賞芸能賞(2002)
平成14年度 国立演芸場 花形演芸大賞 銀賞(2003)
2009年11月S-1バトル月間チャンピオン
第45回上方漫才大賞大賞(2010)
漫才の大会では常に輝かしい成績を収めている。
順風満帆に見えた中川家でしたが、突然の悲劇が兄剛さんを襲うのでした。
パニック障害の恐怖に突然訪れた中川家兄の剛
悲劇は漫才をやっている最中に起きたそうです。
突然の激しい不安で劇場を飛び出してしまった兄の剛さん。体の検査をしても異常がどこも見当たらず、ようやく精神科の受診を決めたそうです。
そこで宣告された病が「パニック障害」だったそうです。
弟である礼二さんに全てを打ち明けるも「そんなものは気持ちの問題やろ」厳しい言葉が投げかけられたそうだ。
パニック障害経験者の方なら分かると思いますが、気持ちの問題でなんとかならないから困っているのです。
この言葉は兄の剛さんの胸にも突き刺さったでしょう。
しかし、兄の剛さんが初めて弟である礼二さんに誰にも打ち明けれなかったパニック障害を告白することに気持ちが楽になったようです。
たしかに自分も病気を受け入れる事が出来なかったので理解ができます。
「恥ずかしい」「辛い」「打ち明けたくない」精神病になったことの抵抗は予想以上に辛かったです。
ここで学べた事2つ!
「一人で悩まず誰かに打ち明ける事」
「パニック障害になってしまった事を受け入れる事」
ザ!世界仰天ニュースでテレビ放映に描かれた、剛さんの心理描写からもみられました。
パニック障害を克服できなの弟礼二さんの存在であった
パニック障害をまったく理解できなかった弟の礼二さん。
突然電車の中で苦しみだす、兄を見て何がそんなに苦しいのか混乱してしまったそうです。弟の礼二さんは、パニック障害の事について真剣に調べようやく大変な病気という事を知ったのです。
「パニック障害を完治するには周りの人の協力と理解度が必要」
その頃から、レギュラー番組は次々となくなり弟の礼二さんが単独で出るようになった。
ここで中川家コンビ結成以来の、熱い絆が試される。
「自分のせいで才能のある弟を埋もれさせてしまう…」
「礼二なら一人でやっていけるのに…」
と思い、剛は礼二に
「辞める。 迷惑をかけたくない」
と伝えたが、礼二は
「とりあえず一年間だけやってアカンかったら芸人の世界をやめよう」
と約束した。
この言葉が、剛さんの原動力に変わったようだった!
パニック障害の逆境を乗り越えた先の栄光
弟の礼二さんだけではなく、周りの先輩芸人にも病気の事を打ち明けるように心がけた。
漫才をやるときも、礼二さんがリードして、弟が気ままに遊ぶという感覚に変えたそうです。
苦手な電車は、各駅駅停車にして苦しくなったら途中下車して休むという事をして徐々に慣らしていった。
信頼おける弟の礼二さんのおかげで、兄の剛さんの心境に変化が起こりました。
「あれこれ考えすぎず自分のペースでいこう」
この考え方が徐々にパニック障害は回復させる鍵になったのでしょう。
どんな困難があっても、決してお笑いの道を諦めず立ち向かった結果。
完全復帰を果たし、東京進出をした中川家は第1回M-1グランプリで、チャンピオンになった!
当時中川家を見ていた人は、そんな苦しい事があったなんて全く思わなかったでしょう。
今でもパニック障害は再発するか?
質問を投げかけられた時、「たまに予期不安が現れる」と答えたそうだ!
中川家剛さんの生い立ち経緯パニック障害のまとめ
中川家は漫才で栄光を掴んでいたが、その裏では兄の剛さんがパニック障害と葛藤していた。
それを助けたのが弟である礼二さんの存在。テレビ出演で成功している真っ最中起こった事件。礼二さんが困惑するのは間違いないでしょう。
理解できずに「気の持ちよう」という発言も出てしまったが、あまりにもおかしい弟の姿を見て病気の理解をすることができた。その後剛さんは抱えていた闇の部分をすぐにに打ち明けるようになれたという。
コンビ愛で見事復活し再び活躍できたのは、紛れもなく弟礼二さんの理解度が高まったからでしょう。
現在パニック障害の方にとって大きな励みになりますし、勇気を与えてくれる内容だと思います。
先が見えない中でも、光を探し続ける事を諦めないでください。パニック障害は地獄のような苦しみを味わいますが、決して死ぬ病気ではないということ。
中川家さんの記事を読んで、みなさんの症状が少しでも楽になったり、希望を与えることが出来たら嬉しいです。
いかがでしたでしょうか?
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